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2011年7月27日 (水)

ベッジ・パードン(続き)

 パンフレットの三谷さんのインタビューによると、ベッジ・パードンは最初、ひきこもりの金之助の内面を描いた、もっとドロドロした作品になる予定だったそうです。が、震災を機にとにかく楽しいものを作りたくなり、このようなコメディーになったとの事。
 確かに、特に1回目はたくさん笑いました。でも2回目、そして見た後に振り返ってみると何やらほろ苦い後味が残るのは、やはり最初の設定の名残だったのでしょうか。

 以下、ネタバレも続きます、ご注意を。

 英国留学中の金之助(後の漱石)、下宿の使用人アニー(ベッジ)、アニーの弟グリムズビー、下宿の主人他、金之助を取り巻くイギリス人達。
 あともう一人、階下に住む日本人、ソータロー。
 このソータローが、いろいろな意味で金之助との対比になっていました。

 日本では方言のためにいじめられ、強いコンプレックスを持つに至ったソータローは、英語は流暢に話せても、イギリス人と表面的な付き合いしかできない。それに対して、英語は難ありだし性格も社交的とは言い難い金之助は、何故かブレッド夫妻にもそれなりに気に入られ、アニーとはついに恋仲にまでなる。「センス・オブ・ユーモア」も含め、ソータローは金之助が羨ましくて仕方が無い…。
(序盤の「英語教師」のシーン、わかってて見るとソータロー、明らかに悔しがってますね)

 金之助は、意識的に好かれようとしたり、面白い事を言おうとしていた訳ではない。
 上手く話せない自分の未熟さに悩み、時に露骨に差別的な扱いを受けて本気で落ち込んだり、その時々の状況をただ真っ直ぐに、必死に受け止めて日々を過ごしていただけなのだが、作為の無いその姿にこそ、周りの人間は好意を持ったのだと思う。
 最後、もうすっかり心が離れていると思い込んでいた日本の妻からの手紙を発見し、一心不乱に
その手紙を読んでいる時には、そばにいるアニーの事はもう目に入っていない。アニーにとっては残酷な風景だが、それこそが彼の本心であることを悟るには充分すぎただろう。

 金之助は、アニーに取っては儚い夢だった訳で…真相を知ってしまえば、ソータローと金之助、2人の日本人のせいで、見なくてもいい夢を見せられてしまった事になる。一度は弟の頼みを断るくらい、現実に近づいた夢ではあったけど。
 グリムズビーのような弟がいては、遅かれ早かれアニーの運命は決まっていたと言わざるを得ない。姉にとっては切って捨ててしまえる程の悪党ではなく、純粋な好意の塊をぶつけてくる弟。自分より頭が良くて、自慢の弟でもある。やっぱり自分が死ぬのは怖くて、大好きな姉を売る事になっても、姉がそれを受け入れてくれるならば縋ってしまうという、ヘタレな弟。(ただし、人間を見抜く直感的なものは異様に優れているグリムズビー、実はその直感に従った無意識(或いは意識的?)の計算があったのかも…とも思わせる、ちょっと謎のキャラクターでした)
 金之助にはついて行けない、仕事も失い行く所も無い、可哀想な弟が困っている、となれば、もう最初からその道しか無かったようなものだ。

 金之助もソータローのせいで傷つき、振り回されたという面もあるけれど…うーん、結局はこの話、ワガママでコンプレックスの塊な男達が互いに傷つけ合って、とばっちりも含めてそれら全部を引き受けたのは可哀想なアニーでした、って事なのかな。うーーーん(-"-)
 最後は、小説を書くという、仄かな希望に向かって歩き出す金之助を、他の登場人物達が温かく見守るような構図で終わるのですが、いろいろ考えると、そこまでめでたしめでたし、という気分にはなれないのです。

 でも、それでも…。
 そういう、どうしようもない所もひっくるめて、どうしようもない所を引きずりながらも生きていく人間に対する愛情というか、温かい眼差し、といったものが、根底にはあるような気がしています。

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